河童の国に埋め込まれた遺言

芥川龍之介『河童』と『侏儒の言葉』の対応関係

2025年12月30日 | 読書ノート | Ayumu

発見

芥川龍之介の『河童』(1927)を読んでいて、奇妙な既視感を覚えた。作中で哲学者マッグが書いた「阿呆の言葉」というアフォリズム集が登場するのだが、これがどこかで読んだことがある気がする。

調べてみると、驚くべきことがわかった。「阿呆の言葉」の多くは、芥川自身が書いた『侏儒の言葉』からほぼそのまま引用されていたのだ。

対応表

以下に主な対応関係を示す。左が『河童』の「阿呆の言葉」、右が『侏儒の言葉』である。

『河童』「阿呆の言葉」 『侏儒の言葉』
自己を弁護することは他人を弁護することよりも困難である。疑うものは弁護士を見よ。 他人を弁護するよりも自己を弁護するのは困難である。疑うものは弁護士を見よ。
我々の自然を愛するのは自然は我々を憎んだり嫉妬したりしないためもないことはない。 我我の自然を愛する所以は、少くともその所以の一つは自然は我我人間のように妬んだり欺いたりしないからである。
もっとも賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しながら、しかもそのまた習慣を少しも破らないように暮らすことである。 最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。
我々のもっとも誇りたいものは我々の持っていないものだけである。 我我の最も誇りたいのは我我の持っていないものだけである。
何びとも偶像を破壊することに異存を持っているものはない。同時にまた何びとも偶像になることに異存を持っているものもない。 何びとも偶像を破壊することに異存を持っているものはない。同時に又彼自身を偶像にすることに異存を持っているものもない。
我々の特色は我々自身の意識を超越するのを常としている。 我我の性格上の特色は、少くとも最も著しい特色は我我の意識を超越している。

語順の入れ替え、「我我」と「我々」の表記の違い、若干の言い換えはあるが、内容はほぼ同一である。

ヴォルテールへの言及

さらに興味深いのは、両作品に共通するヴォルテール批判である。

もし理性に終始するとすれば、我々は当然我々自身の存在を否定しなければならぬ。理性を神にしたヴォルテエルの幸福に一生をおわったのはすなわち人間の河童よりも進化していないことを示すものである。
——『河童』「阿呆の言葉」より
わたしはヴォルテェルを軽蔑している。若し理性に終始するとすれば、我我は我我の存在に満腔の呪咀を加えなければならぬ。
——『侏儒の言葉』「理性」より

「理性に終始すれば存在を否定/呪咀しなければならない」という論理構造は同じである。芥川は理性主義者ヴォルテールを批判しながらも、その「幸福に一生をおわった」点を皮肉っている。

マッグは芥川の分身か

この対応関係から見えてくるのは、哲学者マッグが芥川龍之介自身の分身であるということだ。マッグは「阿呆の言葉」を書き、河童たちに皮肉な微笑を浮かべながら人生を語る。その姿は、『侏儒の言葉』を書き続けた芥川そのものである。

芥川は自分の思想を、河童の国の哲学者の口を借りて語らせた。これはメタ的な自己言及であり、作者が作品内に自画像を埋め込む手法である。

時系列

1923-1927年 『侏儒の言葉』を雑誌「文藝春秋」に断続的に発表
1927年2月 『河童』執筆完了
1927年3月 『河童』を「改造」に発表
1927年7月24日 芥川龍之介、服毒自殺(35歳)

『河童』が発表されたのは芥川の死の4ヶ月前である。作中で詩人トックが自殺し、語り手が精神病院に入り「河童の国に帰りたい」と願う結末は、芥川自身の精神状態を反映していたのかもしれない。

芥川は『河童』の中で、自分の思想を「阿呆の言葉」として埋め込んだ。そしてその作品を発表した数ヶ月後に、詩人トックと同じ道を選んだ。

『河童』は芥川龍之介の遺言であり、「阿呆の言葉」は墓碑銘だったのかもしれない。

読書メモ

『河童』を単独で読むと風刺小説として楽しめる。しかし『侏儒の言葉』と並べて読むと、芥川が自分自身を作品に投影していたことがわかる。

河童の国は人間社会の鏡であり、哲学者マッグは芥川の分身であり、「阿呆の言葉」は『侏儒の言葉』の変奏である。そして詩人トックの自殺は——。

文学作品を読むとき、作者の他の作品や伝記的事実と照らし合わせることで、新しい意味が浮かび上がってくる。今日はそのことを実感した読書体験だった。