男系の絶滅
— ゴルトン=ワトソン過程と、六十世代の糸

「家系(姓)が絶えるのはなぜか」は、1874年にゴルトンとワトソンが数学の問題にした。 息子の数が確率で決まるとき、男系という一本の糸はいつか必ず途切れうる。 下の川は、48本の男系が世代ごとに枝分かれし、あるものは膨らみ、あるものは枯れていく様子。 分布は、Wikidataの日本の系譜23,306人(系譜の星図)から実測した時代別の「息子の数」を使っている。

列の太さ = その系統の男子数(対数)。 = 絶滅
時代プリセット(実測分布)
息子の数の分布 p₀…p₁₀ (ドラッグで編集)
生存確率の理論曲線 P(n世代目も存続) = 1 − Gⁿ(0)
一本を追う — あなたの男系は何世代続く?

1874年、姓の絶滅という問題

ヴィクトリア朝のイギリスで「名家の姓が次々に絶えている」ことが話題になった。フランシス・ゴルトンは問うた——これは貴族の生殖力の衰えなのか、それともただの確率なのか。H.W.ワトソンと共に出した答えが、いま「ゴルトン=ワトソン分枝過程」と呼ばれる数学になった。

仕組みは単純で、各男性が確率 p₀ で息子0人、p₁ で1人、p₂ で2人…を残すとする。息子たちも同じ確率で息子を残す。このとき男系(=姓)が永遠に続く確率はいくらか。

母関数と、運命の分かれ目

G(s) = p₀ + p₁s + p₂s² + p₃s³ + …
絶滅確率 q は方程式 q = G(q) の最小の解。

答えは息子数の期待値 m で三つに分かれる。

m < 1(劣臨界): いつか必ず絶える(q = 1)。しかも速い。
m = 1(臨界): やはり必ず絶える(q = 1)が、n世代目の生存確率はおよそ 2/(nσ²) でゆっくり減る。
m > 1(優臨界): 永遠に続く確率が正になる(q < 1)。ただし q は0にはならない——優臨界でも、最初の数世代の不運で絶える系統は必ず出る。

重要なのは、人口が安定している社会では平均するとm ≈ 1、つまり臨界のふちにいること。ほとんどの男系はいつか絶え、生き残った少数が大きく広がる。「遡ればみんな有名人の子孫」と「男系はすぐ絶える」は、同じ数学の表と裏だ。

実測: 側室の消滅が、期待値を臨界へ引きずり下ろす

Wikidataの日本の系譜から「息子の数が1人以上記録に残っている父」に限って、時代別に息子数の分布を測った。

時代標本(父の数)E[息子]分散σ²絶滅確率 q
平安 (700–1200)1,2052.153.5921%
鎌倉室町 (1200–1400)7711.731.6511%
戦国 (1400–1600)1,5091.852.2214%
江戸 (1600–1868)2,2891.701.8318%
近代 (1868–1960)4401.220.9254%

平安の2.15から近代の1.22へ——一夫多妻(側室)の衰退とともに、期待値は臨界値1へ向かって一直線に落ちている。近代の分布では、男系1本の絶滅確率は54%。これはエリート上振れを含んだ数字なので、実際の家系ではもっと高い。

この数字の限界: ①Wikidataは著名人(貴族・武家)ほど厚く記録するので、E[息子]は庶民の実態より上振れする。②「子の記録が1人以上ある父」への条件付けも上振れ要因。③息子は娘より記録に残りやすく、男系の測定はこのバイアスの影響を受ける。④近代の低さは少子化の実態と「存命者の記録の薄さ」の両方を含む。つまりこの表は「実測」だが「日本人の平均」ではなく、記録に残った家系の上限側の見積もりとして読んでほしい。

六十世代の糸

系譜の星図のデータで今上天皇から実父のリンクだけを遡ると、系譜記録の上では59世代・仲哀天皇(伝承では2世紀)まで一本の糸が続く。ただし初期の天皇は史実性が学術的に確立していない伝承上の存在を含む。実在がほぼ確実とされる継体天皇(6世紀)以降に限っても53世代——およそ1500年、男系の糸が一度も途切れなかったことになる。

これはどれくらい起こりにくいことか。右のパネルの理論曲線は「1本の男系がn世代目まで存続する確率」を正確に計算する(母関数をn回合成した 1−Gⁿ(0))。平安の分布なら53世代の生存確率は79.2%——側室制の王朝が男系を保つのは、実は数学的にも分がいい賭けだった。一方、近代の分布(m=1.22)は優臨界ではあるが臨界のすぐ上で、同じ53世代の生存確率は46.0%——コイン投げよりやや不利な賭けになる。

優臨界の過程には重要な性質がもう一つある。生き残る系統は男子の数を大きく増やして安全圏に入るが、系統の人数が1人に戻れば、絶滅確率はまた q にリセットされる。現在の皇室で次世代の男系男子が悠仁親王1人であることは、分枝過程の言葉でいえばまさにこの状態だ。ゴルトンが1874年に姓について立てた問いは、150年後の日本で、そのままの形で生きている。

生き残った側の風景 — 巨大クランの現在

分枝過程のもう一つの顔は「生き残った少数は巨大になる」こと。同じデータで、歴史上の「クラン創業者」ごとに記録上の男系子孫を数え、そのうち現代(1930年以降生まれ・没年記録なし)まで男系が届いている人数を調べた。

創業者記録上の男系子孫現代まで届いた男系
桓武天皇 (737–)3,990人26人(今上天皇・旧宮家・細川家ほか)
藤原鎌足 (614–)3,415人1人
清和天皇 (850–) 〔源氏の祖〕1,879人11人(細川・徳川ほか)
徳川家康 (1543–)363人7人(徳川宗家・御三家)
北条時政 (1138–)139人0人
伊達政宗 (1567–)92人0人
足利尊氏 (1305–)85人0人
織田信長 (1534–)66人0人
源頼朝 (1147–)54人0人
武田信玄 (1521–)11人0人
豊臣秀吉 (1537–)5人0人

鎌倉殿(頼朝)の男系は3代で絶え、太閤(秀吉)の男系は記録上わずか5人で尽きた——史実の通りだ。一方で、栄華を極めた藤原氏は3,415人の巨大クランを築きながら、この記録の中で現代に届く男系はただ1本。優臨界で膨らんだクランも、個々の枝はやはり臨界の確率に晒され続ける。

「0人」の読み方: 織田家・島津家・伊達家などは現実には現代まで男系の家が続いている(とされる)。この表の「0人」の多くは生物学的な絶滅ではなく、Wikidataの記録の糸がどこかの世代で切れていることを意味する——「記録の絶滅」だ。家系の存続には、血の継続と記録の継続という二つの生存問題があり、このデータで確実に見えるのは後者にすぎない。

遊び方

右パネルの時代ボタンで実測分布を切り替えると、川の流れ方と絶滅確率が変わる。分布の棒をドラッグすると自由に「もしも」を試せる(自動で正規化される)。「1本流す」はあなたの家系の運命のシミュレーション——何世代で絶えるかのヒストグラムが溜まっていく。