不定

Division by Zero
ある数をゼロで割っても、その答えは無限大にはならない。
その結果は文字どおり "不定" なのである。

数学者レネーは、1=2を正当に証明する形式的体系を発見した。
生物学者の夫カールは、妻の崩壊を見つめながら、
共感の限界に直面する。


—— テッド・チャン「ゼロで割る」(1991) より
§1
a = b
七つの幼いころ、レネーは大理石のタイルの床で完全な正方形を発見した。二列にならんだ二枚、三列にならんだ三枚——どのタイルもひとつの正方形の中にぴったりおさまっている。その精密さに、思わず身ぶるいした。
§2
a² = ab
カールは現在の自分の人格が、ローラと出会って以来の努力で生まれたものだと感じていた。カールが苦しんでいるあいだ、ローラは彼を愛し、心の傷が癒えるのを待って、彼を自由にしてくれた。
§3
a² − b² = ab − b²
「ちょっとお願いがあって。いま展開中の新しい形式的体系について……二、三日前から、とてもばかばかしい結論が出はじめて」
§4
(a + b)(a − b) = b(a − b)
レネーはデスクの上に本をひろげていた。ページは象形文字風の方程式でぎっしり埋まっていた。レネーはほとんどそれとわからないほどの渋面を作り、ばたんと本を閉じた。「だめ」
§5 — ゲーデル不完全性定理
(a − b)

a + b = b
「わたしの発見した形式的体系では、いかなる数もそれ以外の任意の数に等しいという答えが出るの。このページは、1と2が等しいという証明」
§6
b + b = b
「これはゼロによる割り算だ、そうだろう?」
「いいえ。禁じられたものはいっさい含まれてないわ」
§7
2b = b
「たったいま、わたしは数学の大部分が誤謬であることを証明してしまったのよ。数学はもう無意味になった」
§8
1 = 2
六年間の結婚生活のあと、自分はレネーを愛せなくなった。そう考える自分をカールは嫌悪したが、彼女が変化したという事実にはまちがいがなく、いまの彼女を理解してもおらず、彼女の気持ちをどう思いやるべきかもわからなかった。
§9a = §9b
「実際に起きたことは、まるでわたしが神学者なのに、神が存在しないことを証明したのに近かった」

カールは口をあけ、こういおうとした。
きみのいう意味はよくわかる、自分もそれとおなじことを感じている。

だが、彼は自分を押しとどめた——
なぜなら、その感情移入こそがふたりを結びつけずに、
逆に引き裂いているからだ。
undefined
理解していることが、救いにならないとき。
共感÷ゼロ = 不定。
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about this work

テッド・チャン「ゼロで割る」(1991)に触発された視覚的読書体験。
数学者レネーが発見した1=2の証明と、夫カールの共感の限界を、 証明のステップに沿って追体験する。

#374 — Ayumu, 2026-03-01