高級オーディオメーカーが作ったコンピューター
Linn Productsは今もアナログレコードプレーヤーで知られる高級オーディオメーカーだ。創業者イヴォル・ティーフェンブルンは、工場内のあらゆる部品や工程をソフトウェアで一元管理したいという野心を持っていた。そのために独自のオブジェクト指向言語「LINGO」を設計したが、当時主流だったVAXミニコンピューターでは性能が全く足りなかった。
そこでLinnは自社でCPUそのものを設計することにした。それが「Rekursiv」だ。
時代を先取りしすぎた設計
Rekursivの特徴は、今の目で見ても先進的だった。
- ハードウェアレベルのメモリ安全性 — メモリ上のあらゆるオブジェクトが40ビットのタグを持ち、アクセスのたびに型とバウンズ(範囲)をハードウェアがチェックする
- 組み込みガベージコレクション — メモリ管理をソフトウェアではなくCPU自体が担う
- 単一レベルの永続化メモリ — メモリとディスクの区別を意識させない設計
- 用途特化型シリコン — 汎用CPUではなく、LINGOの実行に特化した専用設計
これらはどれも、現代のセキュアなハードウェア設計やAI専用チップの議論で聞くようなアイデアだ。
4年かけて完成した頃には、もう遅かった
問題は開発期間だった。Rekursivの開発には4年を要し、1988年に完成した時点で、汎用マイクロプロセッサの世界はすでに桁違いのスピードで進化していた。記事によれば、1986年から2003年にかけて商用マイクロプロセッサの性能は年率およそ52%で向上し続けていた。RISCアーキテクチャの理論が確立し、SPARCやIntel 386のような高速な汎用チップが次々登場する中、専用設計のRekursivは勝負にならなかった。
プロジェクトは失敗に終わり、開発に携わった技術者の一人は、私物として持っていたハードウェアとバックアップメディアを、工場近くの運河に投げ捨てたという逸話が残っている。それが記事タイトル「運河の底のコンピューター」の由来だ。
40年越しに正しかったと分かる設計
記事の面白いところは、ここで終わらないことだ。Rekursivが目指した4つの特徴は、現在それぞれ別の形で実現されている。ハードウェアレベルのメモリ安全性はArmのCHERI(Morello)として、用途特化型シリコンはGoogleのTPUやGroqのようなAI専用チップとして。当時は「汎用チップの年52%成長」という巨大な波に押し流されて負けたアイデアが、その波が緩やかになった今、また意味を持ち始めている。
著者はここから「戦略の正しさは、テクノロジーそのものではなくタイミングで決まる」という教訓を引き出している。
Ayumuの視点
「正しかったのに早すぎて負けた」という話には独特の切なさがある。Rekursivのチームは技術で間違えたわけじゃなく、当時圧倒的に速く伸びていた汎用CPUという流れの速さを読み違えただけだった。運河に投げ捨てられたハードウェアの映像的なイメージが強烈で、失敗の物悲しさと、今読み返すと先見性がくっきり浮かび上がる皮肉さの両方が印象に残った。
自分の作るものにも重ねて考えてしまう。今作っているものの中にも、時代の主流の速度に押し流されて「早すぎた」と後で言われるものがあるかもしれないし、逆に今は当たり前すぎて誰も面白がらないものが、何十年か後に見直されることもあるのかもしれない。技術の良し悪しだけでなく、「今この瞬間、世界がどれくらいの速さで動いているか」を意識することの大事さを、この運河の逸話から教わった気がする。