「日本とヨーロッパを系譜で繋ぐ橋は、明治の国際結婚・青木ハンナただ一人」——以前この実験室でそう書いた。Wikidataの家系ネットワークを掘り切ったら、答えが変わった。百済→新羅→高麗→モンゴル帝国と、中世の王家間婚姻だけでユーラシアを横断する回廊が開通し、日本から世界へ出る橋は数え直すと七本あった。この記事はその全部——回廊の物語と、橋の完全リストだ。
今上天皇を起点にWikidataの親族リンク(父・母・配偶者・子)を辿ると、天皇家・藤原氏・公家・武家・華族がひとつながりになった、日本の歴史人物約2万人の巨大な網ができる。同じことをチャールズ3世から始めると、ヨーロッパ王侯貴族の網ができる。問題は、この2つがどこで繋がるかだった。
最初の調査の答えは「ほとんど繋がらない」だった。150年分の日欧国際結婚73組をSPARQLで機械抽出して全部足しても、両翼とも系譜が記録される階層に届いている組は青木周蔵×ハンナ(明治の日独婚)ただ一組。あとは近衛家系のヴァイオリニスト・水谷川陽子とセルビア系アメリカ人チェリスト・ペイチの現代の日米婚と、古代の渡来人の縁、嵯峨浩×愛新覚羅溥傑の政略結婚があるくらい——というのが出発点だった。
今回、網を大きく育てた。シャルルマーニュ・オーディン・黄帝ら7人の「始祖」から子孫方向に9万人。日本網の外周に残っていた未取得の隣人1,840人を種に、行き止まりまで6万人。後者のクロールは「次のフロンティア0人」で終わった——この方面の系譜ネットワークを端まで採り切った。
増えた部分の主役は東アジアだった。北魏・南朝・隋・唐の中国中世貴族、そして新羅の金氏王統と高麗王家の系譜が完全に埋まった。これが決定的だった。
近代の橋2本(青木ハンナ、水谷川×ペイチ)をグラフから取り除いて、今上天皇からチャールズ3世への最短経路を探索する。前回ならここで「到達不能」だった。今回は、101歩の道が返ってきた。
近代の外交も汽船も使わない。使っているのは王家の婚姻だけ。かつてシルクロードの北を走った交易路の名前を借りて、この回廊を草原の道と呼ぶことにした。
本当に「1本の道」なのかを確かめるため、回廊の要と思われる婚姻を一つずつグラフから取り除いて、そのたびに経路を再探索した。
| 切断した箇所 | 結果 |
|---|---|
| リトアニアの婚姻(ハンの娘×ナリマンタス) | 迂回。イルハン朝×ビザンツ(ミカエル8世の娘マリア・パレオロギナがアバカ・ハンに嫁ぐ)→ハンガリー経由で欧州へ |
| トレビゾンド帝国の婚姻(デスピナ・ハトゥン)も追加切断 | 迂回。別のビザンツ縁組で欧州へ |
| 高麗→元の公主(荘穆王后)も追加切断 | 迂回。別の公主(クビライの孫娘・宝塔実憐×忠宣王)で高麗→元を渡る。元と高麗は代々の王が公主を娶る制度で、婚姻が束になっている |
| 高野新笠を切断 | 迂回。新笠の母・土師真妹の実家経由。藤原道長→大江氏(元は土師氏)→土師和麻呂→和氏と、母方の親戚づたいに百済王家へ届く。途中に藤原定家と冷泉家が入る——歌の家からチャールズ3世へ |
| 嵯峨浩も切断 | それでも届く |
結論として、この回廊は「橋」ではない。網だ。高麗⇔元も、モンゴル⇔欧州も、婚姻が複数本ずつ通っていて、一点を切っても必ず迂回路がある。
回廊が見つかったなら、次の問いは「日本から外に出る縁組は、結局いくつあるのか」だ。数え方は単純にした。橋になっている夫婦とその子供たちをまるごとグラフから外し、外の世界へ届かなくなるまで繰り返す。残った縁組が橋の完全リストになる。
| # | 橋 | 時代 | 渡った先 |
|---|---|---|---|
| 1 | 和乙継 × 土師真妹(桓武天皇の生母・高野新笠の両親) | 8世紀 | 百済 →(草原の道へ) |
| 2 | 青木周蔵 × ハンナ(独貴族令嬢) | 明治 | ドイツ貴族網→全欧州 |
| 3 | 一柳満喜子 × ウィリアム・メレル・ヴォーリズ | 1919 | メリル家→米国 |
| 4 | 李方子(梨本宮家) × 李垠(大韓帝国皇太子) | 1920 | 朝鮮王室 →(草原の道へ) |
| 5 | 徳恵翁主(最後の朝鮮王女) × 宗武志(対馬藩宗家) | 1931 | 朝鮮王室 →(同上) |
| 6 | 嵯峨浩 × 愛新覚羅溥傑 | 1937 | 清皇室→中国 |
| 7 | 水谷川陽子(近衛家系) × ペイチ | 現代 | ヴァンダービルト網→米国 |
七本のうち、いちばん意外なのは3番だろう。近江八幡でメンソレータムと洋風建築を広めた宣教師建築家・ヴォーリズは、1919年に子爵一柳家の満喜子と結婚し、後に日本へ帰化した。実家のメリル家は植民地時代のニューイングランドまで系譜が記録される家系で、記録上はそこから19歩でメーガン・マークルの父方に届き、英王室に合流する。近江八幡の建築家と英国王子妃が、入植者の名簿を介して親戚になっている。
4番と5番は渡った先が同じ朝鮮王室で、その先も同じだ。李成桂の祖先は高麗の武臣・李義方の弟の家系で、李義方の娘が高麗王家に嫁いでいる。つまりこの二本の橋は、1番の古代の橋と同じく、渡るとそのまま草原の道に合流する——李方子からクビライまで36歩、全て朝鮮半島の王統だけで歩ける。
切断の途中で分かったこともある。青木夫妻を外しても、同じ名を継いだ娘のハンナがハッツフェルト伯爵家に嫁いでいて、別の橋として残った。水谷川×ペイチの娘も同様だ。婚姻は一代で終わらない——親の橋を切っても、子が新しい橋になる。
そして七本すべてを外すと、徳仁から辿れる範囲は22,413人で孤立した。チャールズ3世にも、クビライにも、もう届かない。八本目の橋は存在しなかった。
| 区間 | 太さ |
|---|---|
| 日本 → 百済(和氏・土師氏の一族) | 最脆弱。桓武天皇の母の家系ただ一つ。ただし新笠本人と母・真妹の2経路がある |
| 百済 → 新羅 → 高麗 | 王家間の婚姻で連続。複数経路 |
| 高麗 ⇔ モンゴル帝国 | 太い。公主通婚が制度化され婚姻が束になっている |
| モンゴル ⇔ ヨーロッパ | 太い。リトアニア、イルハン朝×ビザンツ、トレビゾンドなど複数 |
| 近代の橋(青木・ヴォーリズ・李方子・徳恵翁主・嵯峨浩・ペイチ) | 1組ずつの細い糸のまま。束にはならない |
つまり、東西をつなぐ系譜の真のボトルネックはヨーロッパへの出口ではなく、日本から大陸への門にある。古代はただ一つの渡来人の家が、近代は数組の結婚が、日本列島の2万人とユーラシア大陸の全記録を繋ぐ蝶番になっている。
そしてモンゴル帝国。世界史の教科書は「東西交流を活性化させた」と書くが、系譜のグラフで見るとそれは比喩ではない。高麗からビザンツまで、13世紀の婚姻ネットワークの結節点はほぼすべてチンギス・カンの子孫が握っている。モンゴル帝国は系譜の上でも、文字通り世界をひとつにした帝国だった。
正直な注記。この回廊の古代区間(百済の王女の新羅への降嫁、新羅王統の細部)は、『三国史記』などの後代の史書に基づく記録で、近代の戸籍のような確実さはない。ハンの娘とリトアニア大公家の婚姻も年代記レベルの記録だ。「Wikidataに系譜として入力されている」ことと「歴史学的に確実」であることは別物で、この道は後者の意味では点線を含んでいる。
逆方向の掃除もしている。名前が「不明」「NN」のプレースホルダ項目252個(無関係な家系同士を「不明さん」を共通の親として融合させていた)と、生年差100年以上の婚姻67組(同名別人の混同とみられる)は、機械的に除外した上での結果だ。実際、掃除の前には「17世紀の英国人—『不明』—紀元前のローマ執政官」という偽の抜け道が存在していて、カエサルが本土に繋がって見えていた。
この記事の道は人類系譜の全体図の上で実際に歩ける。地図の中央、日本の柱と欧州の大陸の間に横たわるモンゴルの塊が、この記事の主役だ。
李方子 → クビライ(36歩・全て朝鮮半島の王統)→ ヴォーリズ → メーガン・マークル(19歩)→ 武寧王 → 青木ハンナ(49歩)→