神話が、神話に出会うとき
驚くのは、別々の神話体系がひとつの系譜に編み込まれていること。聖書の始祖から、ギリシャの神々へ、たった11歩で着く。
アダム → ゼウス11歩
聖書の最初の人間・
アダムから、ギリシャ神話の主神
ゼウスまで、わずか11歩。橋になるのは、『創世記』で大洪水を生き延びたとされる
ノアで、そこからギリシャ神話の海神
オーケアノス(大洋そのものを神格化した原初の神)へ一歩で繋がる。この接続は史実ではなく、ルネサンス期にでっち上げられた偽書が原因だ。1498年、イタリアの修道士
アンニウス・ダ・ヴィテルボが「偽ベロッソス」という偽史書を書き、聖書に出てこない異教の神々を、洪水を生き延びたノアの子孫として系図に接ぎ木してしまった。神々を「後世に神格化された古代の実在の人間」とみなす
エウヘメリズムという古代からの考え方を利用した捏造で、その五百年前の接ぎ木が、いまもWikidataの親子リンクとしてそのまま生きている。この偽書の仕組みと、唯一の典拠サイトがネットからも消えている顛末は
「橋は神話でできていた」に詳しく書いた。
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ゼウス → オーディン21歩
ギリシャ神話の主神ゼウスと、北欧神話の主神
オーディンは、聖書の
ノアを乗り換え駅にして繋がる。前半は上のアダム→ゼウスと同じ、ルネサンス期の偽書がでっち上げた「オーケアノスはノアの子孫」の接ぎ木を逆走する。後半の橋は
アングロサクソン王家の始祖記だ。9世紀の『アングロサクソン年代記』はウェセックス王家の系図を神ウォーデン(=オーディンの古英語名)まで遡らせ、さらにその先を「ノアの箱舟の中で生まれた息子スケアファ」に接いでいる——キリスト教化した王家が、異教の祖先神を聖書の系譜に組み込むための中世の公式設定で、それがいまもWikidataに生きている。神話の大陸どうしを繋ぐ橋は、いつの時代も「王家の正統性」のために人の手で架けられたものだ。
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オーディン → 女媧151歩
北欧神話の主神オーディンから、中国神話で人類を土から創り出したとされる女神
女媧まで、151歩という長丁場。以前この道は日本の皇室を経由していたが、王朝データの拡充でモンゴル直通の近道が開通した。まずゲルマンの英雄
ジークフリートの娘
アスラウグの子孫がデンマーク王家に連なり、ノルマン征服で王位を失ったイングランド最後のアングロサクソン王
ハロルド2世へ。その娘
ギータは亡命してキエフ大公に嫁ぎ、ルーシの公女がモンゴルの
バトゥ家と縁組して
チンギス・カンに届く。チンギスの娘が嫁いだ金の皇室からは、靖康の変で金に囚われた北宋の皇帝
徽宗の一族へ——征服の歴史がそのまま系図の接続になっている。あとは唐の名門、北魏の名族崔氏を経て三国志の
曹操・
曹植父子、呉の
孫堅、斉の田氏、春秋の美女
夏姫から周王室に入り、始祖
后稷、
黄帝を経て女媧へ。北欧サガ・ヴァイキング・キエフ・ルーシ・モンゴル・金と宋・三国志・春秋戦国・五帝——一本の道の上に、これだけの文明がすべて乗っている。
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黄帝 → 孔子45歩
黄帝 → 少昊 →
后稷 → 古公亶父 →
周の文王 →
周公旦 → …(魯に封じられた周公旦の子孫を経て、宋の公族
弗父何の血筋へ)… → 叔梁紇(孔子の父)→
孔子
中国神話の伝説上の帝王・
黄帝(中国人が自分たちを「炎黄の子孫」と呼ぶときの、あの黄帝で、五帝の最初とされる)から、前552年頃に生まれた実在の思想家・
孔子まで45歩。前半の橋になるのは、前11世紀に殷を倒して周王朝を建てた一族だ。農業神とされる周の始祖
后稷、周王朝建国の基礎を築いた
文王、その子で幼い成王を補佐した摂政
周公旦を介して、伝説の帝王が周王朝に繋がる。後半には孔子自身の出自の伝承が隠れている。孔子の家系は元は宋の公族の分家(弗父何を祖とする)で、宋の内紛を避けて臣下の家柄に下り、のちに魯へ移り住んだと伝わる。伝説の帝王と歴史上の孔子は、周王朝という橋と、孔子自身の「没落した王族の子孫」という出自の二重の意味で地続きになっている。
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現代の権力者たち
今上天皇 → イーロン・マスク39歩
徳仁 → 明仁 → 昭和天皇 → 大正天皇 → … →
近衛秀麿 → 水谷川陽子 →
ヨハン・セバスチャン・ペイチ → …(米国の家系)… → 母マイエ →
イーロン・マスク
南アフリカ出身で、テスラやスペースXを率いる実業家
イーロン・マスクが、日本の皇室と39歩で繋がっている。橋になるのは近衛家(藤原氏の流れをくむ「五摂家」の一つ)の指揮者
近衛秀麿(3度首相を務めた近衛文麿の弟)。そこから娘婿の家系を通って、〈草原の道〉の記事でビル・ゲイツやウォーレン・バフェットを皇室に繋ぐ橋として登場したアメリカ人チェリスト
ヨハン・セバスチャン・ペイチに接続し、そこから米国開拓期の家系網——鉄道王ヴァンダービルト家や、モールス信号の発明者サミュエル・モールスの家系も通る——に入って、最後はマスクの母マイエ(旧姓ハルデマン)の家系にたどり着く。血統ではなく婚姻の縁を何本も乗り継いだ結果、実力で成り上がったIT起業家の代表格が日本の皇室と親戚になる。「実力の人」も、たどれば古い家の網の中だ。
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イーロン・マスク → バラク・オバマ31歩
こちらはアメリカ大陸側の道。マスクの母方(カナダのホールドマン家)と、アメリカ合衆国第44代大統領
バラク・オバマの母方(カンザスのダナム家、母は人類学者
アン・ダナム)が、31歩で合流する。舞台は17世紀のニューイングランド。ラスロップ家やヒンクリー家といった初期入植者の一族は子だくさんで、その子孫が北米中に広がったため、植民地時代まで遡れるアメリカの家系はたいていどこかでこの網に刺さる。カナダ育ちの起業家とハワイ生まれの大統領も、遡れば同じ入植者の船団に辿り着く。
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オバマ → トランプ19歩
オバマと、アメリカ合衆国第45代・第47代大統領
ドナルド・トランプも血縁の地図では19歩。入口はどちらも配偶者だ。オバマ側は妻
ミシェル・オバマの南部の家系、トランプ側は2番目の妻でジョージア州出身の
マーラ・メイプルズの家系。ふたつの南部の家がアパラチアの山あいの一族(キムジー家)で出会う。政治で争う相手が、それぞれの結婚を介して親戚という、ねじれた縁だ。
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今上天皇 → ドナルド・トランプ44歩
徳仁 → 明仁 → 昭和天皇 → …(近衛家を経て)… → 水谷川陽子 →
ヨハン・セバスチャン・ペイチ → …(ヴァンダービルト家を経て)… →
ジョン・ケリー → ハインツ家 → フレデリック・トランプ → トランプ
今上天皇からトランプまで、直接たどっても44歩。皇室から明治天皇・竹田宮を経て根津・安田の財閥網に降り、明治の外務大臣
青木周蔵とドイツ貴族出身の妻ハンナの国際結婚(この記事の新しい主役級の橋)でヨーロッパへ出る。ドイツのハッツフェルト侯爵家からアメリカ南部の旧家に渡り、最後はトランプの2番目の妻
マーラ・メイプルズの家系がゴールへ導く。日本の皇室とアメリカの大統領は、明治の国際結婚ひとつを蝶番にして繋がっている。
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古代の宿敵は、実は姻戚だった
戦って殺し合った相手が近い親戚だった、という構図をさかのぼっていくと、驚きの型が見える。ライバルどうしが単なる遠い親戚ではなく、対立の直前まで互いの家族だったケースだ。
アレクサンドロス3世 → ダレイオス3世2歩
アレクサンドロス3世 → 妻スタテイラ → ダレイオス3世
前4世紀、東方遠征でアケメネス朝ペルシアを滅ぼした
アレクサンドロス3世(大王)と、そのペルシア王
ダレイオス3世は、なんとたった2歩。アレクサンドロスはダレイオスを打ち破ったのち、その娘スタテイラを妻に迎えている。征服した相手の娘と結婚する——これは比喩ではなく史実で、系図の上でも文字通り「義理の親子」になっている。
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ユリウス・カエサル → グナエウス・ポンペイウス2歩
カエサル → 娘ユリア → ポンペイウス
前1世紀、共和政ローマの内戦で激突した
カエサルと
ポンペイウスも、たった2歩。実はこの二人、内戦になるまでは同盟者どうしで、ポンペイウスはカエサルの娘ユリアを妻に迎えていた(三頭政治の絆でもあった)。ユリアの死をきっかけに同盟が崩れ、義理の親子はローマを二分する内戦の敵同士になる。歴史上最も有名な内戦の一つが、家族の解消から始まっていた。
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ライバルたちも、血ではもう味方
三国志から9.11まで、時代をまたいで並べてみる。戦場で殺し合った相手が、系図の上ではとうに親戚だった、という構図がどの時代にも見つかる(ヒトラー・東条英機・レーニン・ホー・チ・ミンなど家系記録がWikidataにほぼ無い人物は、この地図には登場しない)。
劉備 → 孫権3歩
劉備 → 妻・孫夫人 → 母・呉夫人 → 孫権
2〜3世紀、三国時代の蜀を建てた
劉備と、呉を建てた
孫権はたった3歩。実は劉備は孫権の妹(孫夫人)を妻に迎えている——同盟としての政略結婚で、のちに関係が破綻して両国は争うことになるが、系図の上では義理の兄弟のままだ。
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曹操 → 劉備・孫権8歩・7歩
曹操 → 子・曹彰 → 孫賁 → … → 孫堅 → 劉備(8歩)/孫権(7歩)
魏を建てた
曹操から見ても、劉備まで8歩、孫権まで7歩。魏・蜀・呉、三国志の主役三人が全員、10歩以内の親戚で収まっている。天下三分の計を分けたのは血の遠さではなく、それぞれが率いた勢力圏だった。
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源頼朝 → 平清盛3歩
源頼朝 → 父・源義朝 → 常盤御前 → 平清盛
12世紀、源平合戦で覇権を争った
源頼朝と
平清盛は、わずか3歩。橋になるのは
常盤御前だ。頼朝の父・源義朝の側室だった彼女は、義朝が平治の乱で清盛に敗死したのち、幼い我が子(義経ら)の命と引き換えに清盛の側室になったと伝わる。敵対する二つの武家の間に立った一人の女性が、そのまま系図上の最短経路になっている。
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サラーフッディーン → リチャード1世17歩
サラーフッディーン → 弟アル・アーディル → … → アリエノール・ダキテーヌ → リチャード1世
1189〜92年の第3回十字軍で、聖地エルサレムをめぐって戦ったアイユーブ朝の指導者
サラーフッディーン(サラディン)と、イングランド王
リチャード1世(獅子心王)は17歩。橋になるのはビザンツ皇帝家を経由した、リチャードの母
アリエノール・ダキテーヌの血筋。十字軍とイスラムの陣営は敵同士だったが、ビザンツ帝国という「両側と接点を持つ第三勢力」を介して系図上は繋がっている。
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クビライ → 北条時宗52歩
クビライ → 康熙帝 → 乾隆帝 → … → 明智光秀 → 北条時宗
1274年と1281年の二度にわたり日本へ襲来した元寇(蒙古襲来)。それを命じた元の皇帝クビライと、鎌倉幕府の執権として迎え撃った
北条時宗は52歩。他のライバル対決に比べると距離があるのは、鎌倉武士の家系記録がヨーロッパ王侯や中国皇室ほど緻密に繋がっていないためだ。それでも二人は同じ大陸の中で繋がっている。
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リチャード3世 → ヘンリー7世4歩
リチャード3世 → 母セシリー・ネヴィル → エドワード4世 → エリザベス・オブ・ヨーク → ヘンリー7世
15世紀、イングランド王位をめぐるバラ戦争でヨーク家を率いた
リチャード3世と、ランカスター系で最終的に勝利した
ヘンリー7世は4歩。しかもヘンリー7世は戦後、リチャード3世の姪エリザベス・オブ・ヨークと結婚し、赤と白のバラを合わせた「テューダー・ローズ」で両家を統合した。戦争そのものが婚姻で終わる、という珍しい決着だ。
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今川義元 → 織田信長5歩
今川義元 → 娘・関口親永室 → 築山殿 → 松平信康 → 徳姫 → 織田信長
1560年、桶狭間の戦いで信長に討たれた東海の大名
今川義元と
織田信長は5歩。橋になるのは徳川家康の正室・築山殿(義元の姪)とその娘・徳姫(信長の娘で家康の嫡男に嫁ぐ)。桶狭間で命を落とした義元の血は、家康を介して信長の家系と繋がっていた。
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徳川家康 → 石田三成4歩
徳川家康 → 娘・満天姫 → 津軽信枚(満天姫の再婚相手)→ 大舘御前 → 石田三成
1600年、天下分け目の関ヶ原の戦いで東西に分かれて激突した
徳川家康と
石田三成も、系図の上ではたった4歩。家康の娘
満天姫が津軽藩主
津軽信枚に再嫁し、その信枚の前妻が三成の娘・大舘御前だった。戦国大名は勝者も敗者も互いに縁組を重ねていたから、天下分け目の敵将どうしでもこれだけ近い。
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オリバー・クロムウェル → チャールズ1世9歩
クロムウェル → 娘フランシス → …(リッチ伯爵家)… →
キャサリン・ケアリー →
ヘンリー8世 → …(テューダー朝・ステュアート朝)… → チャールズ1世
17世紀のイングランド内戦で国王軍を打ち破り、ついには
チャールズ1世を処刑にまで追い込んだ議会派の指導者
オリバー・クロムウェル。処刑した王とクロムウェル自身は、9歩の親戚だった。クロムウェルの娘フランシスの孫娘がフランクランド准男爵家に嫁ぎ、その次の世代がリッチフィールド伯リー家と結婚する。このリー家、実は
チャールズ2世の庶子の家系。つまり護国卿のひ孫世代が、処刑された王の孫(庶流)と結ばれている。王を殺した男の子孫と殺された王の子孫が、王政復古からわずか数十年で同じ食卓についた——歴史の和解が、系図の上に残っている。
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ピョートル1世 → カール12世5歩
ピョートル1世 → 娘アンナ・ペトロヴナ → … → カール11世 → カール12世
18世紀初頭、バルト海の覇権をめぐる大北方戦争で20年以上戦い続けたロシア皇帝
ピョートル1世と、スウェーデン国王
カール12世は、たった5歩の親戚。ヨーロッパの王家は敵国どうしでも縁組を重ねていて、戦場で殺し合う相手が数世代内のいとこだったということが珍しくない。
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ジョージ3世 → ジョージ・ワシントン12歩
ジョージ3世 → 息子ジョージ4世 → …(英貴族)… → チャールズ2世 → 庶子の家系カルヴァート家 → マーサ・ワシントン → ジョージ・ワシントン
18世紀後半のアメリカ独立戦争で対立した英国王
ジョージ3世と、独立側を率い初代大統領となった
ジョージ・ワシントンは12歩。しかも仲介するのは、もう一人の敵
ナポレオンの一族だ。ジョージ3世の娘はヴュルテンベルク王妃となり、その継娘カタリーナはナポレオンの末弟ジェロームに嫁ぐ。ボナパルト家からナポリ王ミュラの息子
アシル・ミュラに渡ると、彼は帝政崩壊後にフロリダへ移住して、ワシントンの妹の曾孫キャサリン・ウィリスと結婚していた。英国王・ナポレオン一族・初代大統領——18世紀の三つ巴が、一本の系図に同居している。
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ナポレオン → ウェリントン公爵9歩
ナポレオン → 弟
ジェローム・ボナパルト → …(英王室・ジャージー伯爵家)… →
ギャレット・ウェズリー(初代モーニントン伯爵) → ウェリントン公爵
1815年、ワーテルローの戦いで最終決着をつけた
ナポレオンと、彼を破ったイギリスの将軍
ウェリントン公爵(アーサー・ウェルズリー)は9歩。橋を架けるのは、意外にもアメリカ・ボルチモアの豪商パターソン家だ。ナポレオンの末弟ジェロームは渡米中に
エリザベス・パターソンと結婚し(兄ナポレオンは激怒してこの結婚を認めなかった)、一方エリザベスの兄の妻だったマリアンヌは、夫の死後に
ウェリントンの実兄リチャード・ウェルズリー侯爵と再婚した。皇帝が握りつぶした弟の恋と、その相手の一族の再婚。ワーテルローの両雄は、大西洋の向こうの一家を介して9歩の親戚だ。
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マシュー・ペリー(黒船) → 徳川家定25歩
ペリー → 父クリストファー・レイモンド・ペリー → … → ヨハン・セバスチャン・ペイチ → 近衛秀麿 → … → 徳川家定
1853年、黒船で浦賀に来航し日本を開国させたアメリカ海軍提督
マシュー・ペリーと、当時の江戸幕府13代将軍
徳川家定は25歩。橋になるのは、なんと〈星図に入れなかった人たち〉の記事でビル・ゲイツやウォーレン・バフェットを皇室に繋ぐ橋として登場した、アメリカ人チェリスト
ヨハン・セバスチャン・ペイチと近衛家の縁組。ペリーの一族もこのアメリカ植民地系の記録の濃い家系網に連なっていて、同じ一本の橋を通って日本にたどり着く。
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ユリシーズ・グラント → ロバート・E・リー14歩
グラント → 娘ネリー → …(英国の名家・チャーチル家祖先)… → チャールズ2世 → カルヴァート家 → カスティス家 → リー夫人 → ロバート・E・リー
1861〜65年の南北戦争で北軍を率いた
ユリシーズ・グラント(のち第18代大統領)と、南軍を率いた
ロバート・E・リー将軍は14歩。グラントの娘ネリーが英国人と結婚して英国の名家網に入り、チャールズ2世の庶流カルヴァート家から新大陸へ戻って、リー夫人の実家カスティス家(マーサ・ワシントンの曾孫の家)に届く。北軍と南軍の総司令官が、大西洋をまたぐ縁組網の中でこれだけ近い距離にいる。
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島津久光 → ヴィクトリア女王27歩
島津久光 → 息子・島津忠義 → … → 青木周蔵 → ヴィクトリア
1863年、生麦事件をきっかけに薩摩藩とイギリスが交戦した薩英戦争。薩摩側の実質的指導者
島津久光と、当時の英国女王
ヴィクトリア女王は27歩。ここでも橋になるのは明治の外交官
青木周蔵とドイツ人妻の結婚——日欧を結ぶ唯一の橋が、この記事の随所で繰り返し登場する「幹線道路」の一部になっている。
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ウィンストン・チャーチル → 昭和天皇27歩
チャーチル → …(従兄の妻
コンスエロ・ヴァンダービルトの実家)… →
ヨハン・セバスチャン・ペイチ → 水谷川陽子 → …(近衛家・三笠宮)… →
昭和天皇
第二次世界大戦で日本と戦った英首相
ウィンストン・チャーチルと、当時の日本の元首
昭和天皇が27歩。チャーチルの祖父マールバラ公爵の娘の嫁ぎ先から英国貴族の網に入り、帝政ロシアの駐英大使を出したベンケンドルフ伯爵家、ドイツのハッツフェルト侯爵家と渡って、明治の外務大臣
青木周蔵とドイツ貴族出身の妻ハンナの国際結婚で日本に上陸する。あとは安田・根津の財閥網から竹田宮を経て明治天皇へ。敵国どうしのトップが、英・露・独・日の縁組リレーで意外なほど近い親戚になっている。
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ウィンストン・チャーチル → ベニート・ムッソリーニ20歩
チャーチル → … → カルロ・ポンティ →
ソフィア・ローレン → ロマーノ・ムッソリーニ →
ムッソリーニ
英国とイタリア、大戦で敵味方に分かれたチャーチルとイタリアのファシスト指導者
ベニート・ムッソリーニは20歩。橋になるのは、イタリアの銀幕の名女優
ソフィア・ローレンだ。夫の映画プロデューサー、カルロ・ポンティを介した縁で、ムッソリーニの息子ロマーノと親戚筋になる。政治のライバルどうしが、後の世代の映画スターの結婚を通じて繋がっている。
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ジョン・F・ケネディ → ニキータ・フルシチョフ31歩
ケネディ → 妻ジャクリーン → … → セルゲーイ・ボンダルチューク → イリーナ・スコブツェワ → フルシチョフ
1962年のキューバ危機で世界を核戦争の瀬戸際まで追い込んだ米大統領
ジョン・F・ケネディと、ソ連第一書記
ニキータ・フルシチョフは31歩。橋になるのはソ連の映画俳優・監督の一族。冷戦の両巨頭も、芸能人の縁組を介して繋がっている。
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ウサーマ・ビン・ラーディン → ジョージ・W・ブッシュ23歩
ビン・ラーディン → 父ムハンマド・ビン・ラーディン → … → プレスコット・ブッシュ → ジョージ・H・W・ブッシュ → ジョージ・W・ブッシュ
2001年の米同時多発テロを指揮したウサーマ・ビン・ラーディンと、その後「テロとの戦い」を率いた
ジョージ・W・ブッシュ大統領は23歩。橋になるのはビン・ラーディン家の英国貴族との縁組と、ブッシュ家(ウォール街の名家)の系譜。21世紀最大のテロと、それに応じた戦争の当事者どうしが、系図の上ではこれだけの距離で繋がっている。
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大久保利通 → 明治天皇8歩
明治維新はどうか。倒された側の徳川慶喜と皇室が近いのは、江戸時代を通じて縁組してきたから当たり前。面白いのは
倒した側の下級武士たちだ。薩摩の下級藩士から政権の頂点に立った
大久保利通は、孫の牧野伸顕→吉田茂→麻生家という縁組リレーの先で、曾孫の孫娘・信子さんが1980年に寬仁親王と結婚し、明治天皇まで8歩になった。
西郷隆盛も弟・従道の家系が古河財閥と久邇宮を経て12歩。一方、同じ元勲でも
伊藤博文・木戸孝允・板垣退助・大隈重信の家系は、今も皇室の網と繋がらない。革命家のうち「新しい支配層」として定着した家だけが、一世紀かけて後から網に編み込まれた——ロベスピエールともナポレオンとも違う、日本型の第三のパターンだ。
大久保利通 → 明治天皇(8歩)→
西郷隆盛 → 明治天皇(12歩)→
ルイ16世 → ナポレオン6歩
フランス革命で処刑された
ルイ16世と、革命の中から皇帝に成り上がった
ナポレオンは6歩。鍵は処刑された王妃
マリー・アントワネットだ。ナポレオンの2番目の皇后マリア・ルイーザは、アントワネットの姪の孫娘——つまり革命で王家を倒した男は、その王家の縁者に婿入りして皇統の正統性を「輸血」した。断頭台と戴冠式が、同じ家系図の6歩の中に収まっている。
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ロベスピエールとレーニンは、地図の外にいる未接続
同じ「革命」でも、繋がらない側がいる。ルイ16世を処刑に送ったロベスピエール(弁護士の家系)と、ロマノフ朝を倒したレーニン(教育官僚の家系)は、王侯貴族の網とどこまで辿っても繋がらない——ロベスピエールに至っては、記録された家族が少なすぎて地図に映りもしない。倒された王の側と、次に権力を握った者(ナポレオン、明治天皇)は数歩の親戚なのに、革命を起こした本人たちは網の外から来ている。「支配層の交代」と「支配層内部の主役交代」の違いが、系図にくっきり出ている。
映画も、意外な縁を運んでくる
ライバルではないが、映画の世界にも系図の上での意外な縁がある。
クリストファー・リー → イアン・フレミング5歩
クリストファー・リー → … → イヴリン・フレミング(イアンの母)→ イアン・フレミング
映画『007』シリーズで悪役スカラムンガを演じた俳優
クリストファー・リーと、007の生みの親である作家
イアン・フレミングは、たった5歩。これは有名な実話で、二人は遠縁のいとこ同士だった。フレミングは実際にリーを初代ジェームズ・ボンド役の候補として考えたこともあると言われている。結局リーが演じたのはボンドの敵役だったが、血縁の上では作者側の親戚だった。
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ケイト・ウィンスレット → ジョン・ジェイコブ・アスター4世13歩
ウィンスレット → …(
リチャード・ブランソンの一族・英王室周辺)… → …(ロマノフ家)… → 娘婿
セルゲイ・オボレンスキー → アスター4世
映画『タイタニック』でヒロインを演じた
ケイト・ウィンスレットと、実際にタイタニック号に乗船し沈没で命を落とした当時世界有数の富豪
ジョン・ジェイコブ・アスター4世は13歩。入口はウィンスレットの夫エドワード・エイベル・スミス(通称ネッド・ロックンロール)の実家で、メディア財閥ピアソン家(カウドレー子爵家)から英国貴族の網に入る。終着はリブルズデール男爵トーマス・リスター——彼の後妻エヴァ・ウィリングは、
アスター4世の最初の妻だった人だ。映画のヒロインと実際の犠牲者が、夫の家系と一人の未亡人の再婚を介して、血縁の地図の上でも繋がっている。
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古代から、現代へ
2000年前の人物が、婚姻の鎖だけで今の王室に届く。伝承や貴族の系図が、細く長く現代まで続いている。
ユリウス・カエサル → チャールズ3世45歩
前1世紀、共和政ローマ末期の将軍・政治家
ユリウス・カエサルから、21世紀の現イギリス国王
チャールズ3世まで45歩。カエサルの養子で初代ローマ皇帝となった
アウグストゥスに始まるローマ皇帝家から、4世紀のローマ皇帝コンスタンティウスの妻で、大帝コンスタンティヌス1世の母
聖ヘレナを経て、中世ヨーロッパの王家群を伝って現代の英王室に届く。二千年かけて受け継がれた、古代ローマの血の「伝承ルート」だ。ただし正直に言うと、この道の全部が史実ではない。カエサルから2世紀のローマ貴族までは古典史料に残る系譜だが、そこからコンスタンティウス・クロルスへの接続は、ローマ帝国後期に皇帝の家柄を飾るために作られた「名門出自」の伝説(『ローマ皇帝群像』由来)。聖ヘレナ→コオル老王の区間は中世ブリテンの伝説で、続くウェールズの父称の鎖も11世紀ごろまでは半ば伝承だ。確実な文書に戻るのは中世後期から——つまりこの道は「史実の両端を、中世人の系譜自慢が橋渡ししている」。地図では伝説上の人物は輪郭だけの点で描かれるので、どこが伝説区間かは地図でも見分けられる。
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預言者ムハンマド → チャールズ3世44歩
7世紀のアラビア半島でイスラム教を説いた預言者
ムハンマドから、現英国王チャールズ3世まで44歩。橋になるのは、8世紀に現スペインのコルドバを都に興った後ウマイヤ朝の2代目君主
ヒシャーム1世。イベリア半島(現スペイン・ポルトガル)を支配したこのイスラム王朝の血が、そこからヨーロッパの王家へ流れ込み、20世紀の英国王
ジョージ6世を経てチャールズ3世に届く。「英王室はムハンマドの子孫」という説は、この地図でも一本の道として引ける。ここで注記を二つ。第一に、ムハンマド本人からウマイヤ家へは妻
ウンム・ハビーバの実家を経由する——つまり血のつながりではなく婚姻の縁だ。第二に、肝心の「イスラム王朝からキリスト教ヨーロッパへの渡り点」は伝説ではなく、9世紀末の実在の政略結婚だ。ナバラ(パンプローナ)の王女
オンネカ・フォルトゥネスはコルドバのアミール・アブドゥッラーに嫁ぎ、その後キリスト教側の貴族との間にも子をなした。両方の文明に子孫を残したこの一人の女性が道の蝶番で、コルドバの学者イブン・ハズムが系譜書に書き残している。後ウマイヤ朝の系譜も歴代史料が厚く、この道は44歩の大半が記録に基づく。
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預言者ムハンマド → ヨルダン国王41歩
今も現役のイスラムの王朝へ。ヨルダン王家「ハーシム家」はムハンマドの直系を称する家系で、この地図でも娘
ファーティマと孫
ハサンから、千年以上メッカを治めたシャリーフ家の歴代を経て、現ヨルダン国王
アブドゥッラー2世(1999年即位)まで41歩、寄り道なしの直系ラインが一本通っている。神話ではなく、いま生きている王家に届く系譜だ。
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天照大神 → ヨルダン国王(ハーシム家)70歩
日本神話の主神
天照大神から、ムハンマドの直系を称する現ヨルダン国王
アブドゥッラー2世まで70歩。前半は古代の皇統と紀氏を通って平安貴族の頂点
藤原道長へ、冷泉家・徳川家から明治の安田財閥の縁組網に入り、この記事で繰り返し登場する明治の外交官
青木周蔵とドイツ人妻ハンナの国際結婚でヨーロッパへ渡る。ヨーロッパでは独・英の貴族網を渡り、終盤に思わぬ人が現れる——『チャーリーとチョコレート工場』の作家
ロアルド・ダールだ。ダールの孫のジャーナリスト、ネッド・ドノヴァンが2020年にヨルダンのラーイヤ王女(フセイン1世の娘)と結婚したことで、現国王アブドゥッラー2世の一族に繋がる。日本の神話の主神から児童文学の巨匠の家を通って、ムハンマドの子孫を名乗る現役の王家へ——70歩の中に、これだけ違う世界が乗っている。
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神武天皇 → 細川護熙元首相66歩(すべて男系)
紀元前後の伝説上の初代天皇とされる神武天皇から、1993年に55年体制を終わらせた第79代首相
細川護熙まで、66歩。しかもこの経路、他のカードと違って寄り道が一切ない。父から子へ、父から子へと、すべて男系だけを辿って一直線に繋がっている。9世紀の
清和天皇の孫
源経基を祖とする清和源氏から、鎌倉時代に細川氏の祖
細川義季が分かれ、戦国時代の教養人大名
細川藤孝とその子
忠興(細川ガラシャの夫)を経て、肥後熊本藩主細川家に受け継がれ、その18代当主が細川護熙その人だ。日本の旧家の多くが誇る「清和源氏の末裔」という系図上の主張が、この地図でもそのまま一本の父系の道として辿れる。どこまでが史実かというと——神武天皇から最初の十数代は伝説・神話の領域(地図でも輪郭だけの点で描かれる)。6世紀の継体天皇のあたりからおおむね歴史学の対象になり、9世紀の清和天皇以降、源氏→足利支流→細川家は文書で辿れる中世の系譜だ。ちなみに同じ遊びは徳川将軍家でもできる。神武天皇から家康までは、新田義貞・得川氏・松平氏を経る男系58歩——徳川家が公式に掲げた「新田源氏の末裔」という系譜主張が、Wikidataにそのまま入力されているからだ。将軍家の方が細川家より9歩短いのは、細川氏が源氏から分かれたあとの中世の当主が多い分だ。
神武天皇 → 細川護熙(66歩・男系限定) →
神武天皇 → 徳川家康(58歩・男系限定) →
王朝の始祖が、思わぬ現代人と繋がる
数百年前に国を建てた皇帝が、婚姻の鎖をたどると、誰もが名前を知っている現代人に届く。血の地図は、時代も国境も飛び越える。
朱元璋(明の初代皇帝) → ウサーマ・ビン・ラーディン59歩
14世紀、貧しい農民から身を起こして明王朝を建てた初代皇帝
朱元璋と、国際テロ組織アルカーイダの創設者で米同時多発テロの首謀者とされる
ウサーマ・ビン・ラーディンが59歩。道の入口は明の後宮だ。永楽帝の側室に、朝鮮から送られた
韓麗妃という女性がいた。彼女の兄弟・韓確は朝鮮に残って王の外戚まで上り詰めた重臣で、この兄妹の縁から道は朝鮮王朝の本流を一気に駆け下りる。そして意外なことに、
この道は日本を通る。中国皇帝とサウジアラビアの一族を結ぶ最短路の真ん中にあるのは、朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ日本の皇族
李方子と、梨本宮・竹田宮の宮家、根津・安田の財閥網——20世紀前半の日本の縁組ネットワークだ。そこから明治の外務大臣・青木周蔵の国際結婚でヨーロッパへ渡り、英国のクイーンズベリー侯爵家——作家オスカー・ワイルドを告訴して破滅させた侯爵と、ボクシングの「クイーンズベリー・ルール」に名を残した家だ——からケアリー家へ。そこにビン・ラーディン家(サウジアラビアの大富豪一族)の英国縁組が接続して、14世紀の中国皇帝と20世紀のテロリストが一本の線で結ばれる。
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朱元璋(明の初代皇帝) → スターリン55歩
同じ明の始祖・朱元璋から、20世紀にソ連共産党書記長として長期独裁を敷いた
ヨシフ・スターリンへは55歩の大旅行。入口は隣のビン・ラーディンへの道と同じ、明の後宮の朝鮮人側室・韓麗妃とその兄弟・韓確の縁で、朝鮮王朝を駆け下りて日本の皇室に嫁いだ李方子へ。今度は鍋島・徳川・前田と大名家を乗り継いで近衛家に入り、アメリカ人チェリスト
ヨハン・セバスチャン・ペイチとの縁組で太平洋を渡る。ニューイングランドの旧家をたどった先にいるのは「落水荘」で知られる巨匠建築家
フランク・ロイド・ライト(帝国ホテルを設計した人)——その弟子と再婚したのが、亡命したスターリンの娘スヴェトラーナだった。皇帝・側室の兄妹・王朝・建築家・独裁者の娘という、まったく違う世界を生きた面々が、同じ一本の糸の上に並んでいる。
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曹操 → メフメト6世(オスマン帝国最後の皇帝)70歩
2〜3世紀、後漢末の武将・政治家で魏の事実上の建国者となった三国志の英雄
曹操から、19〜20世紀のオスマン帝国最後の第36代皇帝
メフメト6世(トルコ革命で廃位され国外亡命した)まで71歩。以前この道は日本の皇室を「乗り換え駅」にして102歩かかっていたが、王朝データの拡充で、ユーラシアの真ん中を突っ切る直通が開通した。北魏の名族崔氏から北宋の皇室へ、靖康の変で宋の皇女を連れ去った金の皇室へ、そして
チンギス・カンへ。孫の
フレグが建てたイルハン朝はビザンツ皇帝の娘を妃に迎えており、そのビザンツ皇帝家の姫がオスマン2代皇帝に嫁いで、あとはコンスタンティノープルを陥とした
メフメト2世から最後のメフメト6世まで歴代皇帝を一直線。三国志からオスマン帝国滅亡まで、征服王朝の縁組だけで渡り切る道だ。
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ブルネイ国王ボルキア → 今上天皇101歩
20〜21世紀、かつて「世界一の富豪」と呼ばれたブルネイの現国王
ハサナル・ボルキアから今上天皇まで101歩。前半の橋になるのは、8〜9世紀にアッバース朝(現イラク・バグダードを都にしたイスラム王朝)の最盛期を築き、『千夜一夜物語』にも登場する伝説的なカリフ
ハールーン・アッ=ラシードだ。東南アジアやマレー半島のイスラム王家は、みなこの8世紀バグダードの支配者を共通の祖先とする系譜を持つ。そこからコーカサスのグルジア王家や欧州貴族網を経て、後半の橋になるのは明治の外交官
青木周蔵とドイツ人妻ハンナの国際結婚(日欧を結ぶ唯一の橋)。そこから明治天皇の孫にあたる旧皇族
竹田宮恒徳王を経て日本の皇室に繋がる。イスラム世界と日本の皇室を結ぶ結び目が、千夜一夜のカリフと明治の外交官という二つの橋だというのが面白い。
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ザヘド・ギラニ → アッバース1世9歩
ザヘド・ギラニ(13世紀の神秘主義の導師)→ 娘婿の教団後継者たち → イスマーイール1世(サファヴィー朝建国)→ アッバース1世(ペルシアの大帝)
イラン北部の隠者ザヘド・ギラニは、弟子のサフィー・アッディーンに娘を嫁がせて教団を継がせた。その教団の座は血で受け継がれ、7代目のイスマーイールが1501年にサファヴィー朝ペルシアを建国する。導師から大帝まで9歩——世界史でも珍しい「神秘主義教団がそのまま帝国になった」系譜の背骨。
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怪物も征服者も、英王室に行き着く
もう一つのハブが西の端にある。歴史上の有名人をたどると、驚くほど多くが現在のイギリス王室に流れ込む。
ヴラド3世(ドラキュラのモデル) → チャールズ3世16歩
15世紀、東欧のワラキア公国(現ルーマニア)で、串刺し公とも呼ばれ小説『ドラキュラ』のモデルになったワラキア公
ヴラド3世から、現英国王チャールズ3世まで16歩。道はヴラドの息子から始まる。トランシルヴァニアに残った子孫は「ドラクラ・デ・シンテシュティ家」を名乗り、ハンガリー貴族のケンデフィ家・インツェーディ家に溶け込んで、やがてテック家に至り、20世紀の英王妃
メアリー・オブ・テックへ届く。実はチャールズ3世自身が「私はヴラド・ツェペシュの子孫だ」と公言している。串刺し公の血が16歩で現英国王に届くこの系譜は、王本人のお墨付きなのだ。
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チンギス・カン → エリザベス2世23歩
12〜13世紀、モンゴル諸部族を統一し1206年に即位した、ユーラシアを席巻したモンゴル帝国の初代皇帝
チンギス・カンから、20世紀の英女王エリザベス2世まで23歩。橋になるのは、14〜15世紀にリトアニア大公からポーランド王となりヤギェウォ朝を開いた
ヴワディスワフ2世。モンゴルの血はポーランド王家を経てヨーロッパの王室網に入り込む。「世界で最も多くの子孫を残した男」の血は、英王室にもたしかに流れている。
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ネブカドネザル2世(バビロン王) → チャールズ3世48歩
紀元前7〜6世紀、バビロンの空中庭園で知られる新バビロニア王国の王
ネブカドネザル2世から現英国王まで48歩。面白いのは、経路がギリシャの主神
ゼウスを通ること。古代の王たちは自らを神の子孫と称したので、系図の上ではバビロン王がギリシャ神話と地続きになる。神話と歴史が溶け合った「盛った系図」が、そのまま一本の道として使えてしまうのだ。
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クレオパトラ7世 → チャールズ3世46歩
前1世紀、プトレマイオス朝エジプト最後の女王
クレオパトラ7世から現英国王まで46歩。橋になるのは、彼女の恋人だったローマの将軍
マルクス・アントニウス。二人の子孫がローマ皇帝家と交わり、コンスタンティヌス大帝の母・聖ヘレナを経てヨーロッパ王室へ届く。恋の相手が、2000年後の英王室への入り口になっている。
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クビライ(フビライ・ハン) → チャールズ3世25歩
クビライ →
トルイ → … → メアリー・オブ・テック → ジョージ6世 → エリザベス2世 → チャールズ3世
祖父チンギスに続き、13世紀にモンゴル帝国第5代皇帝となり中国に元を建てた孫の
クビライ(フビライ・ハン。父はチンギスの四男
トルイ)も英王室に25歩。そしてこのクビライが、東アジアの結節点になっている── 高麗(いまの韓国につながる王朝)の
恭愍王はクビライまでたった
4歩、朝鮮王朝を建てた初代国王
李成桂も41歩でチャールズ3世に届き、いずれもクビライを通る。モンゴル帝国が東西を一度ひとつにしたことが、血縁の地図にもくっきり残っているのだ。
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グレース・オマリー → チャールズ3世16歩
グレース・オマリー(16世紀の海賊女王)→ 息子・初代メイヨー子爵 → アイルランド貴族網(クランリカード伯・オーモンド伯)→ ハワード家 → ボーズ=ライアン家(エリザベス王太后の実家)→ チャールズ3世
アイルランド西岸を支配した海賊女王
グレース・オマリーは、1593年にロンドンでエリザベス1世と直談判したことで知られる。その彼女、系譜の上では現在の英国王の遠い親戚だ。息子が初代メイヨー子爵に叙され、その子孫がアイルランド貴族網からテューダー宮廷のハワード家を経て、エリザベス2世の母の実家ボーズ=ライアン家に流れ込む。女王と対峙した海賊が、400年後の王室の系譜に組み込まれている。2026年7月、表示の修理でアイルランド勢が本土に復帰したことで引けるようになった道。
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リー・クアンユー → チャールズ3世18歩
リー・クアンユー(シンガポール建国の父)→ リー一族 → スコットランド氏族オリファント家 → スペンサー=チャーチル家 → チャールズ3世
客家系移民四世としてシンガポールを建国したリー・クアンユーが、一族の縁組を通じてスコットランドの古い氏族オリファント家に繋がり、そこからチャーチル家の縁続きで英国王までわずか18歩。植民地の港町で交わった家系が、旧宗主国の王室への最短路になっている。
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トニー・ブレア → チャールズ3世22歩
トニー・ブレア → 父レオ・ブレアの実母の家系 → スコットランドのレスリー家 → ジェームズ5世(スコットランド王)→ 英王室
ブレアの父レオは俳優夫妻の私生児として生まれ、養子に出された人だった。その実母方を遡るとスコットランドの旧家レスリー家に届き、16世紀のスコットランド王ジェームズ5世(メアリー女王の父)の庶流に合流する。首相と国王が、隠された出生の糸で22歩。
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征服が、血の橋になる ── アメリカ先住民と西欧
もっとも重い繋がり方がこれだ。新大陸の先住民の王たちは、彼らを滅ぼした征服者を通じて、現代のヨーロッパ王室に繋がっている。
モクテスマ2世(アステカ皇帝) → チャールズ3世22歩
15〜16世紀、中米アステカ帝国(現メキシコ)第9代の君主
モクテスマ2世から現英国王まで、わずか22歩。橋になるのは、そのアステカ帝国を滅ぼした16世紀スペインの征服者(コンキスタドール)
エルナン・コルテスだ。モクテスマの娘イサベルがコルテス側と結ばれ、その血がヨーロッパ貴族を経てダイアナ妃、そしてチャールズ3世へ流れ込む。滅ぼした者の血が、滅ぼされた王と現代の王室を繋ぐ橋になっている。
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アタワルパ(インカ皇帝) → チャールズ3世30歩
同じ構図が南米にもある。16世紀、南米インカ帝国(現ペルー)最後の皇帝
アタワルパから現英国王まで30歩。橋は、インカを滅ぼしたスペインの征服者
フランシスコ・ピサロ。征服者たちは現地の王族と血を混ぜ、その混血の血脈がスペイン貴族からヨーロッパ王室へ届く。二つの大陸で、征服という暴力がそのまま血縁の回路になった。
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ポカホンタス → チャールズ3世16歩
こちらは征服ではなく結婚による橋。16〜17世紀、北米(現バージニア州)の先住民ポウハタン族の女性
ポカホンタスは英国人入植者ジョン・ロルフと結婚し、その子孫はバージニアの名家に広がった。その子孫のバージニア名家(ボリング家・ランドルフ家・ケアリー家)を下っていくと、ニューヨークの弁護士ガイ・フェアファックス・ケアリーの妻シンシア・バーク・ロッシュに行き当たる。ロッシュ家は
ダイアナ妃の母方の実家——つまりダイアナの大叔母が、ポカホンタス子孫の家に嫁いでいた。ダイアナを経てチャールズ3世まで16歩。先住民の血が、新大陸を経てヨーロッパ王室に還っている。
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繋がらない孤島 ── 繋がらないことが、面白い
逆に、これだけ有名なのに本土の大陸に一切繋がらない人たちがいる。彼らは右側に浮かぶ独立した「島」だ(全体図で右上の「繋がらなかった島々も表示」にチェックを入れると現れる)。
クフ王・ツタンカーメン(古代エジプト)本土から独立
紀元前26世紀、古代エジプト第4王朝でギザの大ピラミッドを建造させたとされる
クフ王も、紀元前14世紀、第18王朝で少年即位し1922年の墓発見で世界的に有名になった
ツタンカーメンも、本土のどの王家とも婚姻で繋がらない。あまりに古く、他文明との縁組の記録が残っていないからだ。
面白いのはエジプトの内部で分かれること── 後期の第26王朝ネコ2世は、ペルシャやギリシャとの接触を経て本土に68歩で繋がるのに、古王国・新王国のファラオは孤立したまま。エジプトは「古いほど孤島」なのだ。
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ネルソン・マンデラ本土から独立
現代人でも繋がるとは限らない。20〜21世紀、南アフリカで反アパルトヘイト運動を率い、27年間の投獄を経て同国初の黒人大統領となった
ネルソン・マンデラが属するコサ人首長の家系は、ユーラシアの王家群とは婚姻で接続せず、独立した島をなす。血の地図での「近さ」は、どれだけ世界の権力networkと縁組してきたかを映す。マンデラの島は、その外側にいる誇りでもある。
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ラー(エジプトの太陽神)本土から独立
神話どうしは意外と繋がる── ギリシャのゼウスも北欧のオーディンも、この地図では本土の系譜に編み込まれている。ところがエジプト神話の太陽神で創造神とされる
ラーは、どの神話とも繋がらず孤島のままだ。エジプトの神々の系図は、ギリシャやローマの神話のように「人間の王家」へ流れ込む記録が残っていない。太陽神ラーは、神話の世界の中でも孤高なのだ。
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ヒンズーの神々(シヴァ・ヴィシュヌ・クリシュナ…)本土から独立
これが孤島のなかでも徹底している。ギリシャのゼウスも北欧のオーディンも中国の女媧も本土に繋がるのに、ヒンドゥー教の三大神の一柱で破壊と再生を司る
シヴァ、同じく三大神の一柱で世界を維持する
ヴィシュヌ、その化身とされる英雄神
クリシュナ、叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公
ラーマ、雷神・軍神
インドラ── は一柱残らず本土から切り離されている。インド神話の系図は、他の文明の王家へ流れ込む「人間への出口」を持たない。神々の世界の中で完結し、そして人の世界とも交わらない。二重の意味で孤立した神々だ。
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メソポタミアの神マルドゥク ── 神は切れ、王は繋がる神だけ独立
古代メソポタミア神話でバビロニアの都市神・国家神とされる
マルドゥクも、同じくメソポタミアの叙事詩に登場する伝説的な王
ギルガメシュも、本土から孤立している。ところが同じメソポタミアでも、実在の
王ネブカドネザル2世は英王室へ54歩で繋がる(一つ上のカード)。神話は切れているのに、歴史の王は繋がる── 神と王のあいだで系図が途切れているのだ。神を系図に繋ぎ止めた文明(ギリシャ・ローマ)と、繋ぎ止めなかった文明(メソポタミア)の違いが、この孤立に表れている。
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シャカ・ズールー(南アフリカ)本土から独立
アメリカ先住民が征服者を通じて西欧と繋がったのに対し、サハラ以南のアフリカは繋がらない。18〜19世紀、南部アフリカでズールー王国を築いた初代国王
シャカも、ネルソン・マンデラも、本土から孤立している。ヨーロッパの植民地支配は土地と資源を奪ったが、王家どうしの縁組はほとんど生まなかった。だから血の地図の上では、アフリカは独立した島のまま残っている。
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アメリカ先住民の神々 ── そもそも地図に居ない記録が無い
孤立の、さらに先がある。アステカの神ケツァルコアトルもインカの神ヴィラコチャも、この地図には一柱も存在しない。ギリシャ・ローマ・日本の神々(
天照大神は皇室に53歩で繋がる)は「誰の祖先か」が系図に書き残されたのに、アメリカの神々は人間の系譜へ繋ぐ形で記録されなかった。征服が、文字の記録ごと断ち切ったのだ。繋がらないどころか、地図に載る前に消えている。
そして、最果て
孔子 → ケダ王朝スルタン186歩
孔子 → …(春秋戦国・三国志の曹操・北魏の名族崔氏・北宋と金の皇室を経て)… →
チンギス・カン → …(キエフ・ルーシ・グルジア王家を経て)… →
ハールーン・アッ=ラシードらアッバース朝カリフ → …(預言者一族の系譜・ジャワの聖人
スナン・アンペル・マタラム王国を経て)… →
マレーのスルタン
本土でいちばん遠い二人。前552年頃の中国の聖人・孔子から、三国志の曹操、北宋と金の皇室、チンギス・カンを経てキエフ・ルーシとグルジア王家へ、そこからアッバース朝のカリフ
ハールーン・アッ=ラシードの一族、預言者一族の系譜へ。そこからイエメンのハドラマウト地方に移った聖裔の一族(バー・アラウィー家)が海のシルクロードを渡ってマレー半島に根を下ろし、ジョホール、パハン、ヌグリ・スンビランと王家を乗り継いで、12〜13世紀にマレー半島にあったケダ王朝の
スルタンまで。以前は日本の皇室を経由して274歩だった道が、王朝データの拡充と日付精度の修理で186歩まで縮んだ。ただしデータ拡充後の本当の最遠ペアはもう少し先にいる(直径測定の物語と最新の記録は
「人類の最も遠い親戚」とその追記に書いた)。
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幹線道路 ── 血の地図の乗り換え案内
道を集めていくと、この地図には誰の経路にも顔を出す「幹線」が三本走っているのが見えてくる。どの二人を繋いでも、遠距離ならたいていどれかに乗る。幹線には、それぞれ決まった入り口と出口がある。
モンゴル帝国線 ── ユーラシア横断の最短路13世紀開通
東口:北宋・金の皇室 →(
チンギス・カン一族)→
西口①:キエフ・ルーシ /
西口②:ビザンツ→オスマン
東の入り口は中国の皇室。靖康の変(1127年)で金に連行された北宋の皇族と、チンギスの娘・岐国公主が金の皇族に嫁いだ縁組——征服の歴史がそのまま改札になっていて、三国志の武将も孔子の子孫も、宋・金の皇室を経てここから乗る。西の出口は二つある。ひとつはルーシ口:バトゥの息子サルタクの娘がルーシの公に嫁ぎ、キエフ大公家から(ノルマン征服で亡命した英王女ギータの縁で)西欧・北欧へ抜ける。もうひとつはビザンツ口:フレグのイルハン朝に嫁いだビザンツ皇女デスピナ・ハトゥンの実家経由で、コンスタンティノープルからオスマン帝室へ直結する。オーディン→女媧、曹操→メフメト6世、孔子→マレー王が全部この線に乗っている。800年前の政略結婚が敷いた線路が、今も最短路を量産する。
全線走破・ルーシ口:徽宗 → ギータ(18歩)→
全線走破・ビザンツ口:徽宗 → メフメト2世(20歩)→
王ではない、千年の柱 ── 職能の直系
長い系譜を立てるのは王家だけではない。聖人・法主・ラビ・音楽家——「家業」そのものが、王朝より長い柱を立てることがある。地図の中から、血で受け継がれた職能の柱を集めた。
孔子家 ── 聖人の柱79代・2500年
孔子(前552)→ …(衍聖公の歴代当主)… →
孔尚任(清の劇作家・64代目)→ 現代の孔垂長氏(79代目)まで
世界最長の文書化された家系。中国歴代王朝は孔子の直系当主に「衍聖公」の爵位を与え続け、王朝が入れ替わっても聖人の家だけは続いた。この地図では孔子から『桃花扇』の劇作家
孔尚任まで63歩の廊下が引ける。しかもこの63歩、検証したら
全部が父子リンク——婚姻の寄り道が一本もない、神武→細川と同じ純粋な男系の道だ。この廊下の奥こそが「人類の最も遠い親戚」測定で最遠の座を守り続けている場所だ。系譜の長さは、そのままこの大陸の果ての深さになっている。
聖人の廊下を歩く:孔子 → 孔尚任(63歩・すべて男系) →
サキャ派クン氏 ── 法主の柱1073年〜・950年
クン・コンチョク・ギェルポ(1073年サキャ寺開基)→ 息子
サチェン → その子パルチェン・オポ → 孫の
サキャ・パンディタ → 甥パクパ(クビライの帝師)→ …(現在の41代サキャ・トリジンまで)
チベット仏教の多くの宗派が「転生」で座主を継ぐのに対し、サキャ派だけは
クン氏の血統で法主を継いできた——950年続く血統相続の宗派。5代目パクパはモンゴル帝国のクビライに仕えて帝師(皇帝の師)となり、チベット文字を元にモンゴルの公式文字(パスパ文字)まで作った。地図では初代の孫
サキャ・パンディタらの鎖が本土に編み込まれている。
法主の血統:サチェン → サキャ・パンディタ →
島の柱 ── 外と交わらなかった名家
同じ「柱」でも、運命は二通りある。王朝と縁組した孔子家やサキャ派は本土の背骨になった。ここからは逆に、外と縁組しなかったがゆえに、柱ごと島として浮かんでいる家系たち。閉じた共同体の歴史が、そのまま地図の孤島のかたちになっている。
ソロヴェイチク家 ── ラビの柱107人の島
ヨセフ・ドヴ・ソロヴェイチク(1820・「ベイス・ハレヴィ」)→ ハイム・ソロヴェイチク(ブリスク式学習法の創始)→ 20世紀アメリカのユダヤ思想家 J・B・ソロヴェイチクまで
リトアニアの学術ラビの名門。タルムード研究に革命を起こした「ブリスク派」の分析手法はこの一家の家業そのもので、系譜と学統が一体になっている。ユダヤのラビ文化では誰の孫弟子か・誰の血筋かが学問の系譜として記録され続けるため、家系記録が異常に精密だ。この地図では欧州のどの貴族網とも婚姻せず、107人の独立した島として浮かぶ——同じ理由でハバド派のシュネウルソーン家(アイザイア・バーリンの島)も別の島を作っている。
ソロヴェイチクの島を見る →
バッハ家 ── 音楽の柱121人の島
ファイト・バッハ(16世紀のパン職人・音楽好き)→ …(音楽家50人超)… →
J・S・バッハ → 息子たち(C.P.E.バッハら)まで
テューリンゲンの一族から約200年で50人以上の職業音楽家が出た、音楽史上最も濃い家系。町の楽師の職は事実上世襲で、「バッハ」の名がそのまま「楽師」を意味した地域もあったという。大バッハはその頂点にすぎない。彼らは各地の宮廷や教会に仕えたが、貴族と縁組することはなかった——だからこの地図では、音楽だけでできた121人の島として浮かんでいる。
バッハの島を見る →
おまけ:サンソン家 ── 見えない7人の鎖6代・地図に映らない
シャルル・サンソン・ド・ロンヴァル(1635・初代)→ 父子6代 →
シャルル=アンリ・サンソン(ルイ16世を処刑)→ アンリ=クレマン(最後の当主)
パリの死刑執行人を6代世襲したサンソン家。データを調べて鳥肌が立った——この家は7人だけの父子の鎖で、全75万人の誰とも繋がっていない。処刑人は忌み嫌われ、処刑人の家系としか通婚できなかった。その社会的隔離が、そのまま系図の完全な孤立として残っている。ルイ16世を処刑した男と王は、地図の上では無限に遠い。しかも7人は表示下限(10人)に届かないため、この孤島は星図にすら映らない。記録はあるのに、見えない。
おまけ:まだ地図に生えていない柱Wikidata未入力
柱の候補はまだある。諏訪大社の神長官守矢家は洩矢神から78代を数える系図を持つが、Wikidataには一人も入力されていない。安倍晴明の土御門家(陰陽道宗家の千年)は晴明の家族3人だけ。オスマン帝国から17代続くシンバルのジルジャン家(1623年〜、ドラマーが今も使うZildjianの家)も圏外。この地図の境界は歴史の境界ではなく「誰かが入力したかどうか」の境界で、これらの柱は入力された日に初めて生える。守矢家の系図は、いま入力の準備を進めている。
自分でも探せる。全体図で二人をクリックすると最短親戚パスが引け、🔗ボタンでその状態のURLをコピーして誰かに送れる。あなたの推しの二人は、何歩離れているだろう。歩数はビューアに載っている範囲での最短で、Wikidataの記録が増えれば変わりうる。